なぜ日本の街はちぐはぐなのか
〜都市生活者のための都市再生論〜
青木 仁著
日本経済新聞社 2002年4月15日 発行

●「・・・生活道路に入り込む自動車、高さがバラバラの商業ビル、進まぬ老朽建築物の更新・・・なぜこんなことになってしまったのか。私たちにできることは何なのか。」という都市を巡る諸問題に対して、建設省・都市基盤整備公団で、長年、建築・住宅・都市政策の分野に携わってきた著者による様々な解決のためのヒントが示されているのが本書です。
●具体的には、「都市再生の仕組みをつくる」、「建築規制のあり方を変える」、「公共空間や未利用空間を活用する」という視点を踏まえ、低層住宅地、密集市街地、幹線街路沿道の市街地、地方都市、大都市郊外のニュータウン、という各エリア別に都市再生のイメージと方法論が展開されており、都市や地域のプラニングに携わる皆様の参考になるアイデアが溢れていますので、是非、一読されることをお勧め致します。
●しかし実は、この本に私が魅力を感じたのは別のところにあります。それは、意識的にせよ無意識的にせよ、私が長年抱いている問題意識(戦後日本の街並みは、なぜ、アジア的な混沌とした景観を呈するようになったか)と同様の問題意識の片鱗を、本の端々にある文面に垣間見ることができたからです。一例を挙げると、「・・・京都の町屋など、建物を連続させて街並みを構成するという原理が大方の日本人の意識から失われ、今は、個別敷地上に立つ4面に開放された独立した建物、即ち"一戸建て形式"に対する執着が著しい・・・」という記述が見られるのですが、こうした指摘に私は強く同感しています。
●ここからは私見が入りますが、都市とは本来、"集住のメリットが得られるところ"と同義であり、その意味において都市とは、「公」を自覚した「個」が住まうべきところであると言うことができます。そして古今東西を問わず都市居住者には、都市での安全・安心・快適な暮らしと引換えに、「公」の空間において守るべきルールが課せられていたはずだと思います。
●翻って、戦後わが国では・・・それが戦後教育に起因しているか否かという議論は、今回は横に置いておきたいのですが・・・少なくとも「私」の権利のみを強く主張する「公」への配慮を欠いた「個」が増え続けているのは紛れもない事実だと思います。そのことが「公」の空間、即ち、都市空間に対する無関心さにつながっているのだと私は考えています。
●実際のところ、土地の高度利用が進む中心市街地でも、自分にお金さえあれば、たとえ都市景観が混乱しようとも、あるいは、その土地が本来有する経済的価値が発揮できなくても、「"自分だけ"は一戸建てに住みたい」というメンタリティを持つ日本人が多いのが実情ではないでしょうか。そして、こうした人々の社会経済活動を通じて、一方においては、この国が支えられ、また他方においては、この国が形づくられる、飛躍した言い方になりますが、"混乱した都市空間の形成が促進されている"のだと思います。では、"なぜそうしたメンタリティが形成されたのか?"、という本質に迫る議論は、また別の機会があれば話題にしたいと思います。
●いずれにせよ、本のタイトルにある「ちぐはぐな日本の街」を魅力あるものにしていくためには、都市計画や建築規制に関する諸制度や、まちづくりの仕組みをより良いものにしていくことはもちろんですが、「最も困難な日本人のメンタリティの変革を促すことが、実は、魅力的な都市を創出していく上で最も近道なのではないか」などという不遜な態度を示しつつ、書籍の紹介を終えたいと思います。

川合史朗((株)創建)/2002.7

 

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