「増補 村の遊び日−自治の源流を探る−」
古川貞雄 著
社団法人 農村漁村文化協会 2003
 大学院生の頃、中学校の教員を目指す友人から生徒に「民主主義」をどのように教えたらよいかという相談を受けたことがある。民主主義という言葉をあまりにも当然にきいてきた私は「そもそも民主主義って何?」という根本的な問いに当たり言葉を失ってしまったのだ。その友人と議論を重ねるうちひとつの答えを導きだすことができた。その答えとは、「みんなで決めてみんなで守ることを民主主義と呼ぶ!」ということである。(社会学者の橋爪大三郎も民主主義の原則を同じ言葉で表現している)
 やっと答えが出たところで、今度は私が友人に尋ねた。「ところで民主主義って授業のどこで教えるの?」友人は「日本史の近代編のとこだよ!」と嬉しそうに答えたのだった。
 私たちが民主主義について深く考えたことがないのも、民主主義は近代特有の制度であるといった認識が根付いているのも実は、こうした教育の影響が大きいかもしれない。

 本書「村の遊び日」を読めばそれはあやまった認識であることがわかる。みんなで決めてみんなで守るという民主主義は近世の村落社会にも機能していたのである。(しかも現代社会よりももっと正常に)
 本書は近世後期の村落における遊び日は若者組を中心として村落共同体が決めてきたことを豊富な資料から明らかにしている。村の遊び日と神遊び・神祭りの関係の深さや若者組を中心に遊び日が増大する様子、遊び日は聖なる日でありハレの日であったこと、またそれに対する領主権力の関わり方がよくわかる一冊である。興味深いのは、江戸後期には遊び日が年間100日もあった村落共同体が少なくなかったという事実である(本書P309)。江戸後期という経済的・人口的にみても成熟期にあったといえる社会の中で村落共同体は領主権力の介入もほとんど受けず自主的に遊び日を制定していたのである。神や祭りと関係の深かった遊び日は村落共同体に暮らす人々のコスモロジーを形成する大きな要素になっていたのだろう。本書は最後に近代国家を目指す過程で「遊び日」が「祝日」と言葉をかえて日本国中共通のものになっていく様子を描いている。

 現代におけるまちづくりの中で「自治」は重要なキーワードである。かつての農村社会では村の自治(先に述べたような村落共同体的民主主義)が姿を消すのと時を同じくして近代化の波が押し寄せ、村落ごとに形成されていたコスモロジーは日本という国に集約されていった。こうした変化は村に様々な矛盾や問題を生じさせ、現代における地域が抱える諸問題へと続く一つの連続性を持たせたとも考えることができる。このように考えれば、日本の民衆文化に目を向けることは、現代の私たちが抱える地域問題の解決のヒントを与えてくれるかもしれない。
 本書はこのような思いを抱かせてしまう程に魅力的である。この図書紹介を読んで「まちづくり図書に近世?民衆史?」と思ったあなたにこそ是非おすすめしたい一冊である。 
村田光司((社)地域問題研究所)/2006.10



▲図書紹介のトップに戻る▲