ここで紹介するのは、現在、市街地再開発事業を推進している地区の概要です。ようやく事業再構築がなされ、動き出したところであり、その概略を先ずご紹介します。詳細は事業の進捗にあわせ、今後もご報告できればと思います。
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■岐阜・柳ケ瀬地区
柳ケ瀬地区は昭和41年(西暦1966年)に美川憲一が歌い大ヒットした「柳ケ瀬ブルース」に歌われて全国的に名を広め、昭和の時代に広域的な繁華街として繁栄した街です。 地方都市でありながら、昭和50年(1975年)に長崎屋がオープン、昭和52年(1977年)には旧丸物百貨店をリニューアルした京都近鉄百貨店岐阜店がオープン(5月)、さらに同年9月に岐阜高島屋がオープンし、その後も専門店ビルの岐阜センサや名鉄メルサがオープンするなど、5つの大型店を有する岐阜の中心商店街として発展していました。 しかしながら、岐阜市においても、モータリゼーションの進行と郊外大型店の出店、さらには市内電車の廃止等もあり、他都市と同様、中心部の空洞化・衰退化の傾向にあります。 柳ケ瀬地区では平成11年に近鉄百貨店が閉鎖された後、前述の大型店舗が次々と閉店し、残るのは岐阜高島屋のみとなっています。そのため集客力は低下し、中心商店街であるとはいえ活力低下は避けられない状況にあります。 現在岐阜市では柳ケ瀬を含む中心商店街の活性化に向け、都市再生緊急整備地域の指定を受け、さらに中心市街地活性基本計画の大臣認定を受けて活性化事業の実施を進めています。
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柳ケ瀬通周辺地区については
@ まちなか居住の促進
A 商業振興
B 集客のための町の魅力づくり
C 地区整備
の4つの方策を重点的・積極的に取り組むとしており、柳ケ瀬通北地区市街地再開発事業はその中での主要事業に位置づけられています。
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1965年の柳ケ瀬本通
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2001年の柳ケ瀬本通
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いずれも柳ケ瀬通北地区市街地再開発組合資料提供
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■柳ケ瀬通北地区第一種市街地再開発事業
柳ケ瀬商店街の真ん中を東西に走る柳ケ瀬本通に面するところに当地区があります。
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組合施行による第一種市街地再開発事業を進めるこの地区の特徴は@医療等の店舗と高齢者向けの賃貸住宅で構成する。A借地型で権利者法人が再開発ビルを一括取得・運営する。B基準容積率600%に対し320%程度とする低容積型の開発であるという点です。 敷地面積約1,170uのこの地区は、かつて金華劇場としてオープンし、その後ペルルビルとなった映画館のある商業ビルと、昭和39年に借地方式により建築されたユニーを核店舗とする柳ケ瀬ビルの2棟があり、柳ケ瀬本通の主要な商業ビルとして繁栄していました。前述の柳ケ瀬地区の衰退と共に、柳ケ瀬ビルの核店舗が撤退し商業ビルとしての魅力・機能が低下し、店舗を再編するものの集客力の低下が否めない状況にありました。柳ケ瀬ビルは閉店し、紆余曲折の後土地所有者が構成する法人を設立、建物を取得しました。 その後、これらのビルの関係権利者は、平成16年に準備組合を設立、平成20年1月には本組合を設立し、「賑わいと活力に満ちたまちの再生や高齢化社会に寄与し、柳ケ瀬地区の活性化に資すること」を目的として事業化を進めています。現在、建物解体工事が終わり、公募・選定した新しい事業パートナーと事業完成を目指しています。
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[再開発ビルイメージ]
[目標 事業スケジュール]
平成20年1月 |
組合設立 |
平成22年9月 |
都市計画変更 |
平成22年12月 |
工事着工 |
平成23年10月 |
工事完成・オープン |
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本川一雄((株)アール・アイ・エー 名古屋支社)/2010.7 |