高齢化社会と中心地整備 

<キーワード>
 中心地の再生/コミュニティの再生

都市と魔法のじゅうたん

 20世紀は都市の時代であった。
 大量生産・大量消費が都市を支えた。それは大衆(マス)の社会を生み出した。贅沢品であった「車」が大衆のものとなった。誰もが魔法のじゅうたん(車)を手に入れたことで、20世紀後半の都市は大きく変容していった。
 最も先鋭的な車社会を代表するロサンゼルス。市域面積は1,200kuで全米第一位、東京都区部の2倍にも達する。「人類が突然車を放棄したら、この都市は瞬時にして廃墟と化すに違いない」(磯崎新『見えない都市』)この都市、ロサンゼルスが、つい50年程前までは、世界で最も公共交通機関の発達した都市だったことを知る人は少ない。
 そしていま、人々は郊外に移り住み、ロサンゼルスのダウンタウンに人影はない。ロサンゼルスの中心部では、ジャクリーヌ・リーヴィド女史が「閉鎖コミュニティ」とよぶ「子供が安心して遊べ、夕食を共にする隣人がいない」という危機的な社会状況が生まれているのである。

膨張と希薄化

 日本でも同様の都市の膨張が起こっている。
 まず、高度成長期に農村人口を吸引して都市は拡大していった。DID地区(人口集中地区)面積は、昭和35年の3,865 kuから平成7年の11,732 kuへと3倍に拡大したのである。
 そして、次に希薄化が起こった。DID地区の人口密度は昭和35年の10,563人/kuから平成7年の6,661人/kuへとほぼ半減しているのである。この希薄化への転換は昭和40年代に起こっている(図−1参照)。「希薄化しつつ膨張する都市」それは「魔法のじゅうたん」の爆発的な普及と時を同じくしているのである。
 こうした市街地の拡大は、都市整備必要量を飛躍的に増大させ、都市財政を圧迫している。さらに、人口の流出、商業・業務施設の郊外立地、公共・公益施設の転出など中心地の空洞化を引き起こしているのである。


図−1 DID地区面積と人口密度の推移

高齢化社会と中心地の再生

 日本の人口の高齢化は、欧米の先進国が経験したことのない急激な早さで進行している。西暦2020年には、老齢人口比率は25.5%にも達すると推測されている(図−2参照)。
 そして、高齢化のピーク2050年には国民の3人に1人(32.3%)が高齢者である超高齢化社会が到来すると予測されている。いまだ人類が経験したことのない急激かつ深刻な人口の高齢化である。
 長い都市整備の歴史を持つ欧米先進国に比べ、日本の都市の社会資本ストックはあまりにも貧弱である。膨張し希薄化する都市の整備必要量は幾何級数的に増加するが、国民経済の中でもはや建設投資の伸びは期待できない。一律的な整備から、将来の社会を見据えた選択的な都市整備への転換が必要となる。
 また、膨張し希薄化する都市にあってその中心地の衰退は深刻な問題となっている。いま、中心地の再生は、限られた時間と貴重な国民の財の効率的な投資という観点からも重要である。


図−2 主要先進国の人口高齢化率の推移


中心地コミュニティの再生

 コミュニティの崩壊が市民のその都市への帰属意識を喪失させ、都市そのものを衰退させる。ロサンゼルスの中心部の教訓を挙げるまでもないだろう。
 まず人が住む中心地づくりを目指さなければならない。とりわけ地方都市においては、この観点は重要であるように思われる。すべての地方都市の中心地が、銀座や渋谷でありえるはずがない。
 かって、下町には子供があふれ、商店街が賑わった。子供会、運動会、お祭りなど子供を媒介とした地域の強固なコミュニティがあった。
 いま、当たり前のように高齢者がいる、これを前提とした地域のコミュニティの形成を目指すべきではないだろうか。つまり、高齢者を核とした中心地のコミュニティの再生である。
 そのためには、まずは、安心して暮らせる居住地としての中心地の整備という観点を見失ってはならないだろう。もともと下町の繁華街は、人が住み、住む人に利便を供する店が立地した住・商混在の場所だったはずなのだから。人が住まなくなった中心地は、コミュニティが崩壊し、やがて荒廃するという事実をしっかり認識すべきである。
 21世紀の豊かでゆとりのある高齢化社会の基盤となる、ご近所が安心して暮らせる中心地を、次の世代に受け渡していくことは、我々世代の責務でもある。

石井桂治((株)アール・アイ・エー)/2003.6

▲トップページに戻る▲