岐阜市・玉宮通りの住民等を主体としたまちづくり 

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 まちづくり協定まちづくり協議会

1.はじめに

 皆さん、JR岐阜駅北口に位置する玉宮通りをご存知ですか。古い話ですが、実は私は平成元年度から平成5年度まで、岐阜市さんの委託を受けて、住民等を主体とした通りの活性化を目途として活動していました。沿道住民等の自主協定『玉宮まちづくり協定』締結と運用というそれなりの成果を得て、私自身は関わりがなくなりましたが、現在でも時間をかけた街並み整備や地道な活動は続いているようです。以下では、玉宮通りにおける住民等主体のまちづくりをご紹介します。
 なお、岐阜市都市計画部市街地整備局まちづくり課のホームページでも玉宮通りの概要をご覧になることができます。

2.玉宮通りの概況(平成4年当時)

 玉宮通りは、岐阜駅と柳ヶ瀬を結ぶ長良橋通りと金華橋通りの間にある全長280m・幅員6mの通りです。地方都市の何の変哲もない小さな通りでしたが、駅周辺の繁華街に近く、ブティックなどのファッショナブルなお店も立地し、当時の市の総合計画でもファッションストリートとして、ひとつの都市軸に位置づけられていました。
 用途地域は商業地域、容積率600%に指定されていますが、幹線道路に囲まれた街区は、戦災復興区画整理により、6m道路が基本であり、実質360%の容積率です。
 沿道の建物は、店舗併用住宅が6割以上を占め、商業系用途で8割近くです。構造は木造、(S)RC造がともに4割程度となっていました。建設時期は昭和30年代以前が5割を占め、その多くが木造でした。階数は3階以下が6割を占めていました(現在でも大きな変化はないはずです)。
 なお、地元には法人格を持たない商店会組織(ほぼ自治会組織的な活動)がありました。

玉宮通りの位置と平成4年当時

3.玉宮通りのまちづくりの経過

 以下に玉宮通りの経過を箇条書きします。
(1) 昭和63度岐阜駅前地区地区更新基本計画策定(玉宮通りの歩行者軸としての位置づけ確認)
(2) 平成元年度(平成2年2月8日)岐阜駅前地区更新計画(現在の市街地総合再生計画)の建設大臣承認
(3) この間に、玉宮町の商店会等からのまちづくりの要請と市担当課による指導・助言
(4) 平成2年2月22日玉宮まちづくり協議会の発足(会員94名)
(5) 平成2年度活動(まちづくりコンセプトの作成、まちづくり協定案の作成)
(6) 平成3年度活動(まちづくり協定案の確定、モデル地区における建替プランの作成)
(7) 平成4年度活動(平成4年4月14日まちづくり協定の地元承認(協定内容はパンフレットの抜き刷り参照)、街路整備構想の作成、年度末にイベントの実施、協定に基づく具体的な改築計画1件の出現)
(8) 平成5年度活動(協定に基づく具体的な改築計画3件の出現、イベント第2弾の実施、街路整備基本計画の作成、某青空駐車場敷際の修景計画の策定と実施)
(9) 平成5年度より岐阜市の街並み整備推進事業制度の創設(前面空地部分の舗装費・緑化費補助)
(10) この間に、まちづくりニュースを19号まで発行
(11) 平成6年度以降の活動
  ・ 平成6年度に北側半分の街路修景(街路カラー舗装化、街路灯の設置、電柱の美装化)
  ・ 平成7年度に南側半分の街路修景(街路カラー舗装化、街路灯の設置、電柱の美装化)
  ・ 平成7年度に「まちづくり月間建設大臣表彰」を受賞
  ・ イベントの継続的な実施
  ・現時点までに12件のまちづくり協定に基づく建替えが完了

4.玉宮通りのまちづくり活動の成功の要因

 玉宮通りのまちづくり活動は、全国区で発表するほどではないかもしれませんが、それなりに成果を上げています。その要因を私なりに考えてみました。
(1) 人的資源に恵まれたこと
・ 地元商店会役員の結束の高さがまちづくり協議会に引き継がれ、皆に行動力があったこと
・ 地元の目標設定が明確であったこと(通りの景観的整備、人通りを増加させること、駅前広場から通り正面にデッキ昇降口の計画を確定させること)
・ 初代会長の私欲の無い奉仕活動(沿道居住者ではない点がかえって幸いした)
・ 沿道の建築事務所からの適切なアドバイス(協定締結前から周辺で見られた半地下建物のヒント、まちづくりイメージに対する助言)
(2) 制度的後押し
・ 前面道路幅員6mの実質容積率360%地区にまさしくぴったりで、時期を得た建築基準法の改正(セットバックによる斜線制限の緩和)
・ 時期を得た行政(岐阜市)による街並み整備推進事業制度の創設
(3) 通りの適切な規模
・ 通りを構成する業種、人数、通りの延長など、地元主体のまちづくりとしてまとまりやすい規模であったこと

□ 玉宮通りまちづくり協定パンフレットの抜き刷り(ゆるやかな新築等の際のルール)

□ 玉宮通りの整備後の状況(半地下建物(左写真)や前面空地・緑化など)

5.玉宮通りから岐阜市中心市街地の活性化へ

 私が関係した当時の岐阜市担当者によると、現在でも玉宮通りへの他都市からの視察は多いとのこと、また、中心市街地の衰退が問題視されるなかで、歩行者数が唯一増加しているとも聞いています。
 そのような中で岐阜駅北口は大きな変革期にあるように思われます。駅前問屋街の一画では、優良建築物等整備事業によるホテル建設工事が進捗しています。問屋街西部南街区では平成14年6月に、高島屋南地区では9月に再開発事業の準備組合が設立されています。また、停滞していた岐阜駅西地区再開発は企業開発提案により森ビル都市企画・竹中工務店JV提案の超高層住宅案が動き出すとともに、北口駅前広場とペデストリアンデッキの整備も動き出すなど、まちづくりの動きがここに来て大きなうねりとなっています。
 さらに、岐阜駅東側の吉野町5丁目東地区再開発(設計コンサル・鞄本設計名古屋支社)は平成14年7月に本組合が設立され、平成17年には駅前広場のペデストリアンデッキと一体となったシンボル的なオフィスビルが駅前の新しい顔として誕生することになります。
 実は、この再開発区域の西側の通りを北に向うと、玉宮通りに突き当たるのです。この再開発区域には、再開発地区計画で位置づけられた広場状空地約180uが敷地西側に整備されます。そして、その沿道から北側の住田町界隈の問屋街通りも景観的に整備されることになれば、JR岐阜駅〜ペデストリアンデッキ〜昇降口〜吉野町5丁目東地区広場状空地〜住田町繊維問屋街〜玉宮通り〜岐阜文化センター・金公園沿道モール〜柳ヶ瀬商店街といった一大歩行者軸が完成することになるのです。

小西浩夫(鞄本設計)/2002.12

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