◇ 記念講演

ゴジカラ村のまちづくり

  吉田 一平氏(社会福祉法人 愛知たいようの杜理事長)


<講演>

■ はじめに

 私は「ゴジカラ村」の中で、安全、快適、便利なまちではなくて、安全ではなくて、不便で、手間暇がかかって、わずらわしい村をつくろうと思っており、それを入村料5,000万円でやりたいと思っています。
 そんな「共汗共酔の村」をつくりたいと厚生省関係者に相談したところ、おもしろいので名前を「多世代交流自然村」として、内閣府の「全国都市再生モデル調査事業」に出すことを勧められ、補助金として500万円をもらっています。
 この「多世代交流自然村」は4年くらい前から構想を練っており、いろいろな人に話をしていますが、銀行からは心配だとお金を貸してもらえませんし、中小企業センターにはおもしろいけどよくわからないと言われ、保留になっています。
 今日はそんな「ゴジカラ村」をなぜつくったのか? どんなところなのか? その大きなねらいは何か? についてお話します。

■ 出発点は「雑木林を残したい」

 私は、15年間くらいサラリーマンをしており、福祉や介護において全くの素人でした。長久手は40年くらい前までは、江戸時代みたいな生活がされているところでした。しかし、長久手の一帯は区画整理でほとんどの雑木林が切られてしまい、「雑木林をなんとか残したい」という想いが全ての出発点でした。
 また、長久手には消防署がなく、自分達で消防活動をしなくてはならなかったのですが、私達の年代では消防団をすることができる自営業をしている人がおらず、自分がやることになりました。会社ではいつも怒られてばかりでしたが、消防団で火を消すと近所の人に「ありがとう」と言われることに、感動をしました。そして、会社を辞めて、一年しかない任期を消防命という気持ちで取り組みました。
 このように、幼稚園や老人ホームをつくるのが目的ではなく、まず木を残すことが出発点でした。そして、ふるさとや自分が遊んだ場所がなくなってしまったのでつくりたいと思いました。

■「ゴジカラ村」はどんなところ?

○ひたすら遊べる幼稚園
 25年くらい前に、ひたすら遊べる、隠れられる場所のある幼稚園をつくろうと思いました。
 そこで、同級生の設計士に相談して、山を残し、山の中に幼稚園をつくって、隠れられるようにしたり、運動場は池にしたかったのですが、池はできないということで川にして申請をしたところ、県からは、運動場に山があるので、認可を下ろせないと言われました。自分は山を残すために幼稚園をつくったのに。
 幼稚園は法律上、運動場がないとダメで、直線で30mあり、40人が手をつなげ、ボールを蹴られることが必要でした。県とは、最後には「地球はフラットか!?」などと話ながら、申請が通りました。そんな風に、何もわからずに、一つ一つ手作りで、昭和56年にひたすら遊べる幼稚園ができました。

○原風景のある特別養護老人ホーム
 最初は子ども達と、幼稚園の先生、近所のおばあさんを一緒に山の中で遊ばせていたのですが、もめました。そこで、道を分けて民家をつくることにしたところ、子ども達は民家の方に遊びに行くようになりました。しかし、区画整理が進む中で、おばあさん達が山に来なくなってしまったので、老人ホームをつくることにしました。
 そして、18〜19年前に、あちこち老人ホームを見に行きましたが、その頃の老人ホームは、5階建てくらいのビルで白い壁や蛍光灯があり、まるで会社みたいでした。それを見て、自分には、縁側、畑、柿木、ニワトリ、子ども、お年寄りがいる原風景がよぎり、何も知らない自分の方が良いものがつくれるのではないかなぁと思いました。
 そこで、幼稚園をつくった設計士に話をして、廊下は縁側でまっすぐではなく、隠れられるようにしたり、各部屋は暗くすることで、お年寄りが外に出てくるようにするなど、なるべくぐちゃぐちゃにしました。設計士が同級生なので、「法律が・・・」と言っても、「それをなんとかするのが設計士だ」と、いろいろ言うことができました。
 そして、昭和62年に老人ホームを始めました。近郊の高校や短大に職員募集の案内を出したところ、高校卒や短大卒が32〜33人くらい集まりましたが、そのうち15人くらいの親から反対を受けました。その頃は、まだ「老人の世話をさせるために学校を出したんじゃない」という時代でした。また、地域からも反対されました。みんながあまりにも反対するので、だんだん「よしやってやろう!」と思いました。
 これらを通じて思ったことは、サラリーマンを辞めて、毎日朝から晩までゆっくりと子ども達を見ていると、ほったらかしの山の中で遊ぶ子どもたちは実に良い、子ども達はこんなにおもしろいものかということです。
 また、老人ホームをやっていく中で、寝たきりのおばあさんを大事にすること、何にもしない人を認めていくことにショックを受けました。そして、何もしない人を認める存在価値を大切にする時代が来たのだと思いました。そこで、お母さん達には老人ホームを見てもらって、何もしない人を認める存在価値の時代が来たのだから、もっと大らかになりましょう、3年間ひたすら子どもを遊ばせましょうといろいろな話をしました。

■ 「時間に追われない国」と「時間に追われる国」

 私はリヤカーのわだちのある道、雨が降ると道の真ん中に川ができるデコボコ道が理想であり、そんな風景をつくってきました。
 そんな道に、大人やタクシーの運転手は文句ばかり言いますが、子ども達は喜び、休日に背広を脱いで訪れてくる大人も、「やっぱり良いな」と言ってくれます。同じ道なのにどういうことかと考えました。わだちのある道をきたないと思ったり、道端の花が見えないのは、「感性障害」ではないかと思ったことがあります。そして、家族や、職員、世間の人などといろいろ話して、悩みながらメモしてきたものを整理してみると、「時間に追われない人」と「時間に追われる人」がいることが見えてきました。
 会社にいるときは、時間=コストで、数値化されていて、解決、完成することを目指します。しかし、老人ホームではいろいろな人がいて、話している言葉が全て形容詞で、数値化されていないので、解決、完成とはほど遠く、いつももめています。

時間に追われない国 時間に追われる国
(家庭、地域、子供や老人たちのいる暮らしの場)

★遠回りすればするほど、多くの人たちが楽しめ、いつもぐちゃぐちゃしているから、どんな人にも役割や居場所ができてくる。
★存在することに価値がある。
★形容詞の世界だから、よくもめる。
★雑木林のように、いろいろな人がいろいろなありようで暮らしており、解決とか完成とはほど遠い。でも立つ瀬がうまれてくる。
(学校、病院、企業、軍隊等、働く人たちのいる
仕事の場)
★目的に向って最短距離を最高の効率で行く為に、分業化、専門化してきた。

★能力価値を大切にするところ。
★数値の世界は、追われ続ける。
★問題をみつけ解決したり、ものごとを完成させることをめざす。
そのため不要なものは切り捨てられたりする。

 介護、福祉の世界では、今、「地域」という言葉を非常によく聞きますが、「地域」がなくなっていると思います。ヘルパーと一緒に家庭を回ると、お嫁さんはパートに、旦那さんは仕事に出かけており、おばあさんが一人で寝たきりでいます。おばあさんには、旅行の友達はいますが、家にはほとんど遊びに来ません。すぐ隣に家はありますが、誰もおばあさんの家を覗いてくれません。趣味の仲間などの遠い関係、楽しい関係は良いのですが、嫁・姑、夫婦、親子、同僚など、近い関係はわずらわしく、その付き合いが下手になってきました。家庭、地域までも「時間に追われる国」の価値観へ動いてきているように思います。
 会社などは悪いことを無くせば、良いことになるという勘違いがあるのではないかと思います。自然の中、人の関係の中は、良いことを入れると悪いことも付いてきます。

■ キーワードは「ほどほど」

 今は有料老人ホームがあり、何でもサービスする時代になっていますが、自分が必要とされていると感じることが必要ではないか、そんな社会ができたらよいのではないではないかと思います。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。
 会社や学校、病院などは、同じような類の人を集め、その中でルールが決まっているため、立つ瀬がないと思います。いろいろな人を住まわせ、ごちゃまぜにすると立つ瀬が生まれるのではないかと思います。
 「ゴジカラ村」の老人ホームでは、80人の老人に対して40人の職員なので、一人当たり2時間くらいしか見てあげられません。そこで、居候を住まわせたり、ニワトリ、チャボ、ウサギ、ヤギなど、いろいろなものを入れて混ぜることで、それを補うことができます。また、これによって大もめしますが、立つ瀬が生まれます。幼稚園でもいろいろなものを入れています。
 今の社会は、関係のない人がふらっと行けるまちがなくなってしまいました。有料老人ホームの中もそうなってしまったと最近思っています。
 また、「ほどほど横丁」の中に、「ぼちぼち長屋」というOLが住む老人ホームをつくりました。寝たきり老人13名と職員、2階にはOLとファミリーに住んでもらい、家賃はみんな一緒で65,000円です。
 建物は職員が管理できないように5つに分け、何時に帰っても、誰が来てもよいように、あちこちに入口を付けています。また、地域の人に来てもらうために、きれいな木ではなく、草をぼうぼうと生やしました。柱は四隅の皮を残して、かんなはかけずにざらざらのままにすることで、自然にすき間が出来てきます。自然素材なので、もし壊れても近所の人が誰でも直すことができます。
 地域をつくり、いろいろなものを入れると立つ瀬が出てきますが、必ずもめます。そこで、何があっても「ほどほど」をキーワードにしています。

■ 「多世代交流自然村」とは?

 このような取り組みを総合してつくろうと思ったのが、「多世代交流自然村」です。不便で、手間暇がかかって、わずらわしくて、安全でないところをつくろうと思っています。感動と癒しがあるところには、パーフェクトでない、自然素材、住んでいる人が文句を出せる、不便、行政の枠にとらわれない、というキーワードがあると思います。
 「多世代交流自然村」では、入村料として5,000万円もらい、2,000〜2,500万円相当の一戸建ての村営住宅に住んでもらいます。そして、残りの2,500万円を出し合って、自分達で何に使うかを考えてもらいます。また、毎月10万円の村税をもらい、日当を決めて村民が周辺の大学の学生に下宿の斡旋や、小学校に学童保育の斡旋、また役場の経理などの仕事をして、村の中でお金を回します。外貨はまちの中のゴミを集めたり、下宿代などで稼ぐという直接税方式としています。自分達で役場をつくるなど、全部自分達でやるしくみをつくり、そこを地域の人も使えるようにしようと考えています。
 最後に、会社のようなまちではなく、もっと大らかなまちを世の中につくったらよいのではないかと思います。まちの中のくらしが適当、ほどほどであれば、子どもも増えてくるように思います。穏やかなあり方があればよいと思います。
 そして、いろいろなことに初めからまちの人を参加させておくとよいと思います。ゴジカラ村でも、毎晩お酒を飲みながら、みんなで何をつくろうかを話して楽しんでいます。みなさん、外国の色々な施設を見に走り回っていますが、隣の人と話している方が、良いものができるのではないかと最近思っています。


<意見交換>
○質問者 このようなスケールの大きいしくみを持ったまちづくりができると良いと思っていますが、心配なのはある程度スケールが大きくなったときに、謀議やトラブルへの補償ができるのだろうかということです。何戸くらいであれば、顔が見える気の合う仲間でまとまっていくことができるのか、人をまとめるときの極意を教えていただきたい
○吉田氏 隣近所の付き合いは大変ですが、昔の人はそれをやってきました。しかし、ここ30〜40年でなくなってきました。「ゴジカラ村」でも、まとめることができなく、もめてばかりいます。きちんとしている人が多い時代はつらいので、「適当」「ほどほど」というキーワードを持たないといけないと思います。現在「ゴジカラ村」では、700〜800人が住んでいます。まとまりの大きさについては、ぜひ教えてほしいので、ゴジカラ村に一杯飲みに来て、一緒に話してもらえればと思います。

○質問者 みんなで話をして一つにまとめようとするときに、計画的に物事を進めていくコツを教えていただきたい。
○吉田氏 コツはありません。幼稚園のお母さん達が古民家でまきで火をくべて、わいわいごはんを作っている雰囲気を見てもらうと分かると思います。その風景の中におばあさんやおじいさんも集まってきますので、ぜひお昼ごはんを食べに来てほしいと思います

○質問者 入村料の5,000万円が足りない場合、どのような条件で借りることができますか。
○吉田氏 長久手では、土地が50坪2,000万円、建物が2,000〜2,500万円くらいなので、5,000万円くらいないと採算が合いません。今は、有料老人ホーム形式の15年の償却などのやり方もあります。全国には共鳴してくれる人がいると思うので、全国的に募集していこうと思っています。そのお金を使って公共的な物をつくることで、周囲も潤うと思います。まだ、お金のことはどのようにするのが一番良いかわからないので、コンサルタントをしてもらえればありがたいと思います。

○質問者 大変な価値観の大転換を前提にしてできることだと思いました。今までとは反対の価値観のむらづくりやまちづくりは、長久手町への愛着なしでも、どこでも成立する普遍的なモデルだとお考えか、教えていただきたい。
○吉田氏 私は17〜18年、寝たきりのお年寄りと住んでいます。みんな家に帰りたいが帰れなく、女性はまだ元気で良いですが、男性はどうすることもできません。何でもよいから、自分が必要とされるものがないといけないということは、普遍的ではないかと思います。厚生省が推進している筋力トレーニングの次元の問題ではないと思います。寝たきりの人でも役割、居場所があり、必要とされる世の中のしくみをつくらないと、これから悲惨になるのではないかと思います。この考えは普遍的に広がっていってほしいですし、方法は別としても、そのような動きは必ず出てくるのではないかと思います。知り合いなど倒れた人のところへ、一度お見舞いに行ってもらうとわかるのではないかと思います。ぜひ「ゴジカラ村」にもおいでください。

(注)本記録は、当日の録音テープから事務局にて編集したものです。
   ゴジカラ村の写真は、吉田一平氏に提供していただきました。

(記録:有我 利香/(株)連空間設計)


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