2003年度7月交流会

『城山・覚王山のまちづくり』
視察&交流ワークショップ

【日時】 2003年7月30日(水) 16:00〜21:00
 【場所】 覚王山商店街、揚輝荘

 【参加者】  愛知まちコン19名、揚輝荘の会20名

 心配された雨が午前であがり、これから夏本番という蒸し暑い夕べに7月交流会はスタートしました。
 前半は、4月にオープンした覚王山アパートを視察し、はじめ覚王山祭りやマップ作り、空き店舗活用など積極的な活動を行っている覚王山まちづくり委員会の活動について代表の田屋秀俊さんからお話を聞きました。
 そして後半は、松坂屋百貨店の創始者伊藤家の第15代伊藤次郎左衛門祐民氏の別荘として造られ、名古屋財界人の社交場ともなっていた『揚輝荘』を視察し、市民によって6月に発足したばかりの「揚輝荘の会」会員と一緒に、今後の活用方法を考えるワークショップを現地で行い、互いの意見交換や交流を深めました。

■プログラム   
  前半(4:00〜5:30): 覚王山商店街・覚王山アパート視察
覚王山まちづくり委員会の活動について
 田屋秀俊 氏(覚王山商店街振興組合 副理事長・街づくり委員会代表)
  後半(5:30〜6:30): 「揚輝荘」視察
     (6:30〜9:00): 交流ワークショップ「揚輝荘の活用について智恵をだそう」
 講師:鈴木賢一先生(名古屋市立大学芸術工学部助教授、揚輝荘の会理事長)

覚王山まちづくり委員会の活動


覚王山商店街振興組合 副理事長・街づくり委員会代表 田屋秀俊 氏
本業はインテリア店

 覚王山商店街振興組合副理事長、そして街づくり委員会代表の田屋秀俊さんから、まちづくり委員会の活動の経緯とこれからの課題について話を伺った。
 覚王山商店街のまちおこしは、1997年から約10名の有志でフリーマーケットの企画を手始めに始まった。毎週木曜日の午後8:00に集まり議論を重ね、1998年の4月に当時の商店街振興組合の片岡理事長らの理解により、同振興組合の事業部に位置付けられ「街づくり委員会」が発足して本格的に始動した。
 街づくり委員会の主な活動は、年3回の「覚王山祭り」(春祭、夏祭、秋祭)の開催、ユニークなデザインでPRする「覚王山絵地図」の作成、覚王山新聞の発行、そして商店街の活性を目的とした「空き店舗」対策など多彩で、徐々に内容を充実させてきている。
 こうしたまちづくり委員会の活動は多くのボランティアに支えられている。覚王山商店街に直接関係のないサラリーマンや大学生、高校生など様々な人が、面白そうだからと集まってきて、それが活力となっている。最初は彼らに気を使っていたが、今は「オープンな参加の場づくり」を心がけていると田屋さんは言う。それぞれ自分が参加する意味を自分のペースでみつけてもらえればいいと。


覚王山アパートの外観

 そんな中で、今年の4月にオープンした「覚王山アパート」は、多くのマスコミに取り上げられまさにヒット策となった。空き店舗対策の一環で建替えを検討していた古いアパートを借り受け、「エスニック」と「手しごと」をコンセプトに選考された個性的な6店舗が入居している。格安な賃料の代わりに、まちづくり委員会への参加協力を条件とするなど、単なるテナントでなく運命共同体としてアパート運営、街の運営に参加してもらっているのが特徴だ。これも、アパートの大家さんと商店街の信頼関係、覚王山界隈に集まる若き力と夢、そして何より街づくり委員会のプロデュース能力の成果であろう。最近では、エスニック風のパンチのきいた「絵地図」を片手に街を歩く若い女性連れや老夫婦が増えたという。

覚王山アパートの内部
 そんな順風満帆の街づくり委員会にも悩みはあるという。本業との掛け持ちやボランティアだけでは既に活動が限界になりつつある。覚王山アパートの第2弾、第3弾の話もあるが手が回らない。さらなる街の活性化には専任者のいる組織への脱皮の必要性を感じているそうだ。
 そんな次への課題を抱えてはいるものの、街づくり委員会の「こだわり」は、新たな仲間(商売人)を受け入れる際の要求項目にも現れている。
 ・覚王山を選んだ理由が明確にある人(2号店はダメ)
 ・オリジナリティがあり、店舗経営のスキルがある人
 ・覚王山の街づくり活動に参加できる人
 「覚王山の街づくり」には、いろんな人のこだわりがあり、このこだわりをぶつけ合う議論の場が毎週設けられている。  このような「覚王山」であるがこそ、ここの街づくりに賛同する新しい仲間が後を絶たないのだろう。そんな、まちづくりプロデューサーとしての情熱と自信を感じさせる田屋さんのお話であった。


覚王山絵地図の写真
(クリックすると大きな画像がでます)

(記録:天野 清光/中央コンサルタンツ(株))


「揚輝荘」視察と交流ワークショップ

 「揚輝荘の会」会員の佐藤允孝さん、鬼頭健郎さん、川口泰男さんに、建物と庭園をご案内いただきました。


伴華楼
 「伴華楼」は、名古屋の近代建築を多数手掛けた建築家、鈴木禎次氏の設計による木造2階建ての建物(昭和4年竣工)です。2階部分は明治33年建築の旧尾張徳川邸を移築したもので、暖炉周りなど和洋が調和した意匠が取り入れられています。その2階の座敷で伊藤家が正月に行う「お帖綴じ」の行事には当時の名古屋財界の怱々たる顔ぶれが集まったそうです。残念ながら当日は中を見学できず外からの視察となりました。 

聴松閣
 「聴松閣」は、揚輝荘の中でも最も魅力的で見所の多い建物です。昭和12年に完成した、地上3階地価1階の山荘風の外観をもつ建物です。地階はインド風、1、2階は洋風、3階は和風となっており、いわば和洋東西の折衷様式のユニークな建物です。地階には舞踏会用のホールがありインド風の意匠でインド人画家による壁画があります。また、3階の階段吹き抜け天井裏には竹中工務店の立派な棟札が掛けられていて、当時の施工者の意気込みも感じられました。ただ、床や壁は年月を経て随分傷んでおり、早急な修復が必要に感じました。

 庭園
 「庭園」は、京都の修学院離宮のイメージで造られたといわれており、池には屋根つきの「白雲橋」が架かり、月見や茶会などのが催されるそうです。池の周りには四季を彩るサクラやモミジのほか、ヒトツバタゴやコブシの大木など貴重な木々がみられましたが、近年は竹がはびこって木々が弱ってきたため、市民ボランティアによる竹刈りなどの手入れが行われたそうです。

 

鈴木賢一先生(名古屋市立大学芸術工学部助教授、揚輝荘の会理事長)

 揚輝荘を視察してから、愛知まちコン会員と揚輝荘の会会員が一緒になって5つのグループに分かれて「揚輝荘の活用について」の交流ワークショップを開催しました。
 ワークショップに先立って、揚輝荘の会代表の鈴木賢一先生(名古屋市立大学助教授)より、音楽祭など地域のまちづくり活動に活用されはじめたことなどの経緯の概要をお話いただきました。

Aグループ要約(菅野)
「超・集・葉」

 主な意見として、この空間全体が市街地の中の緑地として貴重な存在であり、公共財産として捉え交流の場として広く開放すべきであり、ひいてはそれが伊藤家のステータス向上にも繋がるのではという意見が目立った。その際、地域との連携として、例えば参道で行われる縁日との協働イベント開催が可能ではとの意見も見られた。
 また、揚輝荘や伴華楼といった建物については、ただ保存するだけでなく、積極的な活用を図るべき(参加者の方の言葉を借りれば「使いたおす」)であるとの意見が特徴的であった。その際には、音楽や演劇といった文化創作活動・情報発信の拠点としての活用や、敷地や建物の迷路性を活かした子どもと大人のための教育・子育て支援の場として再生するといった提案もなされた。その他、日泰寺等の地域文脈から、外国人や留学生との国際交流の場としての活用を図るべきであるとの視点も見られた。


グループワーク写真


グループの発表写真

Bグループ要約(有我)
「あなたの特別な一日のまちのオアシス」

 松坂屋といえば、名古屋に根ざしている百貨店であり、その創家の別荘である陽輝荘は市民にとって親しみが感じられるものである。また、陽輝荘は名古屋の中心部にありながら、豊かな緑に囲まれた品格が感じられる空間であり、地域住民にとっては、一度は入ってみたいと思う敷居が高い存在でもある。
 そこで、人々が親しみを感じる中にも、その品格を高めていくことをテーマに、なにか特別な一日に、ふと訪れたくなるような非日常的な場、まちのオアシスとしての活用を提案した。
 具体的には、松聴閣の地下ホールで結婚式や卒業式、コンサートの開催。庭園は休日や桜や紅葉の時期のみ通り抜けができるなど。また、親しみのしかけと、文化的な交流の場という歴史の継承という点では、松聴閣や伴華楼を留学生や学生の交流の場、社交の場、生涯学習教室、地域のコミュニティセンター、レストランやパブなどに活用するというアイデアも出された。
 運営面では市民による証券化、市民トラスト化するアイデアが出された。

グループワーク写真


グループの発表写真

Cグループ要約(池田)
「〜体験と発見〜 自然と歴史のデパート なんでもあります なんでもできます」

 揚輝荘を訪れる全ての人に、さながらデパートのように、楽しくて多様な「自然を体験し歴史を発見する」空間や機会を提供したいと考え、以下のようなキーワードや具体的な機能を出し合った。
  • まず、揚輝荘の価値や魅力を「知ってもらう」ことが重要。積極的に一般に公開しながら、"揚輝荘写真コンテストの開催"や"建築美・庭園美を魅せてブランド化する"ことなどを通じて、一般の方々にもっとPRすべき。
  • 敷地内に残る豊かな自然を活かして、樹木や草花、動物、昆虫などに触れながら、誰もが気軽に自然を「体験」し「学ぶ」ことができる場にしたい。さらに、様々な歴史的建築物や、この土地に積み重ねられた「物語」を活用して、ワークショップや大学の講義などの形で、建築や郷土の歴史を学ぶ場として活用できる。
  • この場所を「常に人の気配や賑わいがあり日常的に活用される」場に、また「多くの人がこの場所で育ち巣立っていく」場にしたい。そこで、寮としても活用されていた聴松閣を、再び留学生や社会人、高齢者等の「住む・生活する」ための場所として活用したい。
  • 市の迎賓館や一般の宿泊施設として、大勢の人を大切に「もてなす」場にする。
  • ワークハウスや工房などの「創造」の機能と、そこで作られたものを「見せる」「伝える」資料館やギャラリーのような機能を一体的に整備する。
  • ギャラリーやお茶会、お月見会、コンサートなどを企画するとともに、希望者には有料でスペースを貸し出し、大勢の人に楽しく使ってもらいながら、維持管理の費用を「もうける」仕組みを考える必要がある。
  • 様々な時代、様々な様式の建築物が集められ、また外国人の留学生も住んでいたという「多文化」で「雑多」な歴史と空間の雰囲気を活かして、多国籍料理やビアガーデン、インド料理など「食べる」ことが楽しめる施設としたい。

グループワーク写真


グループの発表写真

Dグループ要約(今村)
「アジアのオアシス・揚輝荘」

 松坂屋の創始者である伊藤家が名古屋で育んできた文化とアジア各国の学生との交流を意識されている人が多く、その方向で活用を図りたいという意見が多く出された。また、都会である名古屋の中にあって、貴重な緑のオープンスペースとなっていることから、地元に住む人にとって、心身共に癒されるオアシスであるという認識も強かった。そこで、地元の人とアジアの人が活発に交流し、互いの文化にふれ合う場としての活用が志向された。さらに、伴華楼は茶道・華道などの教養美、庭は日本庭園としての庭園美と緑の繁る自然美、聴松閣はおもてなしの心、日本人の美しい心といったように、昔のような美が失われつつある現代にあって、様々な美に触れることのできる貴重な場所としての意味も付加されたアジアのオアシスになってほしいという思いもあり、そして、そこに集まるすべての人には陽気に過ごしてほしいという願いが込められたアイデアとしてまとめられた。

グループワーク写真


グループの発表写真

Eグループ要約(竹内)
「常に音が流れている揚輝荘」

 Eチームは8名のメンバーのうち、揚輝荘に初めて入った人が4名と、どのチームよりもフレッシュな感覚でのスタートとなった。実際に目で見た、庭園の圧倒的な緑のイメージは強く、その庭で誰に何をさせたいか、そしてWSの会場である聴松閣をどう活用するか、その二点に意見は集中した。そして日本庭園のゾーンと聴松閣ゾーンのそれぞれを考えながらも、万人にわかりやすい共通のテーマが求められた。
 誰からともなく自然に出てきたキーワードは「音楽」。たとえ広大な敷地が分断され、間に高層マンションが建ったとしても、音は壁を越え、そこに集う人に共有される。また、音楽は人を招きいれ、参加を呼びかける。ここに来れば音楽に出会える、という場所として揚輝荘を活用したいというアイデアがまとめられた。
 2つのゾーンの具体的な活用案は以下のとおり。
・ 庭は都会のオアシスとして、開放する。主役は子ども達(蝉取りやラジオ体操など)。BGMは聴松閣から流れてくる、美しい音楽。
・ 聴松閣は、プロの楽団に一括貸し出し、平日昼間は練習会場、夜間や休日はアマチュアの練習、発表の場に。そして地下ホールでは週代わりの音楽イベントを開催する。
 また、施設の管理維持のために、聴松閣にはNPOの事務局に入ってもらう、といった案も出された。

グループワーク写真


グループの発表写真


 各グループが成果を全員の前で発表した後で、鈴木先生の進行で全員による意見交換が行われました。
 「品格」を保ちながらも「親しみ」のある施設に、活用しながら価値を高めていく活用法、といった難しい課題がだされ、参加者全員が真剣にその答えを探る意見交換会でした。
 形の資産とともに、揚輝荘の持つ歴史性や物語性といった無形の価値もあわせて、多くの市民の心に受け継いでいくことが強く望まれていると感じました。

【意見交換会での主な意見】
  • グループ発表にあったように、街なかの「オアシス」という言葉がピッタリくる場所だ。
  • せっかくの場所が今は使われていない。使い倒すくらいの勢いで開放するべき。
  • 多くの人が訪れる「賑わい」「親しみ」もほしいが、一方でこの「静けさ」「品格」を守りつづけたい。これは相反することも多く、これを乗り越える活用法が望まれる。
  • 訪れる人数だけが活性化ではない。行われる活動の質を高めることを目標にすべき。
  • 利用人数の制限や、目的に応じて利用時間帯を分けるなどの工夫をすれば、リピーターが増えて質も賑わいも長続きする。
  • 揚輝荘をまちづくりにどう活かすかのし点が大切。学びや集いの場に適している。
  • 地域との関わりをもって、リピーターを増やす。魅力を高めていく使い方。
  • 保存活用の苦労を含めて、まずは多くの市民に知ってもらう。トラスト化もいい。
  • 他の地域でも残したいというだけでは、結果的に残らない、続かないところも多い。
  • 使いながら価値を高めていく仕組みをつくることが重要。
  • 「クローズドな公共性」とでもいうような使い方を充分議論していく必要あり。
  • 伊藤家の歴史と建物の歴史を大切にして、この価値を現代に引き出していくことが付加価値につながる。

意見交換している写真



意見交換のまとめ板書
(クリックすると大きな画像がでます)

(全体記録:藤森 幹人/(株)日建設計名古屋オフィス)


▲活動記録へ戻る▲