◆ 基調講演 「都市で暮らすということ」

瀬口 哲夫 氏(名古屋市立大学 芸術工学部教授)

1.中心市街地に住むことの利便性

 都市に住むことを考える場合、都心と郊外があり、都心に住むとはどういうことかを考えてみたいと思います。
 住むことの基本的条件が都心には備わっているのではないでしょうか。例えば、ホームレスの人たちの住まい方をみても、とても郊外では成立しません。
 彼らの一人にヒアリングしたところ、生活行動範囲は今池、金山から名駅までの都心部、自転車で動ける範囲だそうです。その範囲で生活に必要なものはほとんど揃う。やはり、郊外ではこういった生活は無理でしょう。都心部には生存していくための最低限のサポートができる条件が整っているのではないでしょうか。

2.都市住民の生活スタイル

 今の住宅志向はどうなっているのでしょうか。昔と比べずい分様変わりしてきているのではないでしょうか。
 私の子どのころは、大きな家に住む人もいれば、長屋に住む人もいたのに、いつからか皆同じような家に住むようになった。
 いつからか、旧い建物に住むことが選択されなくなってしまった。なぜなんでしょう。名古屋圏の住宅の動きとともに人の心も変化してしまったのではないでしょうか。
 住宅政策、住宅販売といった視点からみれば、その時々のニーズにあわせて住宅をつくっていくことは基本なんでしょうが、住むことからみてそれが正しいかと言えば、それは全く別の次元の話ではないでしょうか。
 我々の生活像、住宅像が画一化して貧しくなっている気がします。なぜ、そうなったんでしょうか。
 ある本によると、「日本人には精神的抑圧がある。自分の存在価値を見出していないので、会社で仕事がないとものすごく不安で、役割を求め、役割があると安心する。そういう人は自分の役割を求めて一生懸命がんばって、非常に周りの評価を気にする。」とありました。
 住宅を求める場合も同じようなことがあるのではないでしょうか。自我が確立していないから、周りをものすごく気にする。周りの住宅がみんな同じで安心する。
 もっと自分の生活スタイルにあった住宅を選んでも良いのではないでしょうか。需要の側がそういった抑圧された状態で、供給側がそれに対応していたら、結局できあがったものはおかしいものになるのではないでしょうか。
 要は日本ではそういったなだれ現象が起きやすい気がします。顕在化していない意識が我々を動かしている気がしてなりません。
 私は、都心居住といった場合、空間的・時間的広がりの中で住宅の選択肢を提供していかなければいけないと思っています。ただ、需要側が今まで言ってきたような精神的抑圧を受けている限り、それをほぐしていかなければ、供給側としては手の打ちようがないのではないでしょうか。
 もっと、役割人間ではない自己の確立が必要でしょう。そうでないと本当に都市を楽しむことができないと思います。

 まとめますと、精神的抑圧・役割人間が日本人には多く、それが生活スタイルを画一化してしまっている。生活スタイルが都市の空間に反映していくので、それが都市の空間の複雑化を阻害しているのではないか、ということです。

3.生活スタイルの多様性に応える住宅があるか

 住宅のフローとストックといった時、フローは建設戸数、ストックは現在ある戸数だと思いますが、私は一回つくったものが永遠に使える住宅がストックだと言いたい。そういう思想がないと厚みが増さないのではないでしょうか。
 我々の要求が画一的だから、住宅政策にしても、民間の住宅供給にしても、つじつまが合っているような気がするだけで、それは本当は良くないことなんだと私は思っています。
 住宅政策は貧しい人のためのものという考えが、日本の都市の住まい方を席捲してしまったのではないでしょうか。だから私は、もっと今残っている資産を活かして多様な住まい方ができるようにしたい。私は、都心にその可能性が残されているのではないかと考えています。
 我々は、住宅の建替えではなく住宅団地の建替えの方針をつくらないといけないと思います。昭和30年〜40年代の住宅団地は結構がんばった設計になっている。30数年という歴史ももっている。その空間をもっと活かして、その空間を気に入った人がそこに住めば良いのではないでしょうか。
 仮につくり直すとしても、そういった歴史的なストックを継承して、選択肢を増やしていくことが重要ではないでしょうか。
 それともう一つ、住宅需要予測をしすぎると、たとえば二人家族の場合は何u、子ども一人の場合は何uなんてことを考えて住宅を供給していくと、そのバランスが崩れたときには全てつくり変えないといけなくなる。
 行政はその枠を超えて住宅を供給することができない。まさに貧乏な人のための住宅政策、それが日本の住宅政策であったんではないかと思います。
 民間の住宅開発は経済ベース、だったら公的な開発であればもっと良い住宅地ができないかと思うんですが、税金を使って開発するのだからそれはできないと言われる。公的な資金を使うのだから、水準を下げざるを得ない。一方民間の開発は、経済ベースなのだから、買える範囲でしかつくらない。そうなると、日本ではそんなに質の良い住宅がつくれない社会システムになっているのではないかと思うわけです。

4.都市を楽しめるか

 日本では、都市のイメージ、生活のイメージ、住宅のイメージが貧困化しているのではないでしょうか。その辺をもう少しときほぐしていかないとこれからの都市の居住は問題なんではないでしょうか。
都市には時間が蓄積している。そこを使いこなすことが必要でしょう。画一的な、役割人間的な部分を反省して、生活を楽しむことが重要だと思います。
 全部が同じ価値観ではつまらない。均一化した価値観の方が良い人は郊外の方が良いのではないかと思います。新しい郊外の方が、そういった人には向いている。


 そうでない、自分なりのライフスタイルや多様な価値観を持った人が輝くのは、都市の中心部の方ではないでしょうか。
 住み分けることができる都市空間があって、その中で我々が多様なライフスタイルを実現できるような都市、まちづくりができたらなと思っています。